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クラッシック音楽を聞くのは時間の無駄

 こんな「異星人」が書いたブログ、何か機会がなければ絶対に読まないのだが。
 でも、高校出てから、クラッシックの類をただの一度も聴いたことがない人、自分以外にもワンサといるだろうね。
【雑記】クラシックコンサートに子供を連れていくということ/Langsamer Satz
http://nailsweet.jugem.jp/?eid=875
『(自分の子供を)クラシック・コンサートに連れていくようになったのは、彼女が小学校に上がって、1時間近くの曲でも静かに聴いていられるという確信が持てるようになってからです。それでも、途中で退屈してバタバタし始めたら、途中で演奏会場から退出したこともあります(クラシックだけじゃなくて寄席でも)。』
『私の近くに座っている子供たちが、音楽にも、そしてホールの客席に座っていることにも退屈してしまって、まったく落ち着きを失い、ゴソゴソ、モゾモゾするのは仕方がないこととは思うのです。でも、それに対して、親御さんたちがまったく関心を示していないことが気になる。』

 さっき、NHKを見てたら、上記の「異星人ブログ」とは逆に、子供連れでも安心して聴けるクラッシックを紹介していた。おむつ替えスペースを常備し、多少の音出しは当然に容認、子供向けに「鑑賞のマナー」を教えるチラシを配布。被り物のキャラを出したり、アイドルがやるように歌手が客席の間を歩きながら歌う...
 よく知らないけれど、クラッシック音楽業界って、「こんな事」すら今まで思いつかなかったのだろうか。客席を歩かなかったのは、音が響かないかららしいが、じゃあそのシーンは4人で歌えば良いではないか。二階席があれば、そこにも歌手を配置する。ああいうところに行く輩は、あこがれの歌手が近くで歌ってくれるのを喜ばない人種なのか。昔、人殺しの鈴木邦男さんが、プロレスのFMWは後ろのお客さんのためにレスラーがわざわざ出向いて試合を見せてくれる旨を言っていた。実際にFMWやW☆INGは、二階席までレスラーが「雪崩れ込んで」試合を間近で見せてくれる。
 そもそもクラッシック音楽って、アイドルやフォークロックのニューミュージックやその他もろもろの流行歌手の歌を聴くのに比べて、あんなもんガキに聴かせてると、ガキの頭が良くなったり人間性に豊かになったりするのだろうか。むしろ、庶民を見下した鼻持ちならない人間のカスになるのがオチではないのか。そういう発想の親と俺は友達にならない。何か精神が汚された気がしてしまうから。
 だいたい「クラッシック(古典)」って音楽、バイオリン部隊を編成し真ん中で棒を振り回すのがどうして古典なのか。棒踊りおじさん、麻原尊師やスメーダー正悟師が平然とやってたんだから、実はいらないのはバレてるのに。
 それはともかく、クラッシックって一曲が長いから時間の無駄だし、主旋律(佐村河内守のジャジャジャジャーンみたいなところ)以外はつまらない手抜きメロディーで時間をつないでるのが明白。だからみんな退屈して音を出したりあくびをしたり、うんこやおしっこや咳払いをしたくなるのだ。
 はっきり書けば、お前らの作品の出来が悪いから、ガキが退屈して、そのガキが高校を出れば一生聴かないのだ。
 ちなみにニューミュージック系の「品性下劣な」音楽では、時として酒を飲むのもOKどころかデフォなのだが、何も問題にならない。みんな演奏に聞き入ってるし、代表曲を歌ってる時は酒も忘れて他人の咳払いなんか気にしている状態じゃない。「品性下劣な」音楽家である彼ら彼女らは、文科省やNHKが権威付けなんかしてくれないけれど、お客様を喜ばせるために必死に努力をしているから、客が酒を飲んでても驚かないし、客のそばで歌ってファンサービスするのなんかとっくの昔に当たり前なのだ。
 面白いステージならば放っておいてもくしゃみも咳もとまるのだ。子どもが退屈してノイズを出すのは、肝心の音楽の出来が悪いからに決っている。
 だって、クラッシックで退屈してお菓子を食べてる子供だって、「さあ、次はももいろクローバーZのお姉ちゃんだよ!」「SMAPがみんなのためにわざわざ来てくれました!」って言えば、速攻でお菓子を食べるのやめるじゃん。
 見栄っ張りの卑しい人間になる以外に、クラッシックって聞く意味も聞かせる意味も自分にはさっぱり分からない。あれを聴かせて大音楽家に子どもがなるのか。佐村河内守になるのがオチだ。絶対にAKB聴き込んだほうが音楽家になる確率高いのに。それにしても、1時間も2時間も、良い歳こいた大人が時間の無駄使いよく出来るね。家でビジネス書や新聞を読まないで、そんな下らないことをしてて良いの? イミフじゃん。で、疲れたら10分間あゆでも聴いて、また勉強。真に知的なのはどっちか。
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コメント
5635:志村、うしろうしろ! by ドミノ on 2014/04/13 at 19:02:12

今のクラシックな人、ほんとに大変でしょうね。才能があってもそれを活かす場所も機会もない。変なアイドルとか志村けんの後ろで楽器演奏やってたりするの見ると…でもあれでも仕事になるし、大きな舞台での演奏だし。

録音媒体の変化も大きいですね。ロブ・ハルフォード様がおっしゃってたのですが、以前はLPだからまずA面、B面があって片面が23分程だから、それを基準に曲の分数を決め、例えば20分でA面が終わり、B面の1曲目がこれ、という風になっていた。でもCDになってから80分近い収録時間があるから、「アルバム1枚で10曲は少ない」と言われるようになった。20曲入れれば過去のアルバムの2枚分だ…、というような事です。

あとはモトリー・クルーの誰だったかが、その約80分に良い曲を詰め込んでも誰も通しで聴いてくれないのに、そんなの作るのはマゾだね。シングルだけを出した方がいい、とか言ってました。

しかし今の人間は、昔の王様とか皇帝よりどんだけ便利で恵まれてるんだろうとか思います。

5619:Re: 山の魔王 by sinzinrui on 2014/04/07 at 20:25:44

ドミノ様

> 疲れ目のせいか、タイトルが「クラッシック」に見えます(^3^)。

クラッシックもクラシックも「あり」じゃないでしょうか。
みんな、クラッシックて発音してると思います。

> ただ、作られた時代にはそういうものだったし、音楽を聴く事自体がすごく特別なものだった(今みたいに気軽に聴けない)。音楽家にパトロンがいて、基本はそういう人のために作っていたから、今の商業音楽とは全く異なるわけで。

そんな難しいことは考えたことがありませんでした。
でも、考えて見れば、今のクラッシックな人って生活大変でしょうね。きっと先生(教師)
になれれば御の字、作曲家でやっていけるのでしょうか。

だから偽ツンボのゴーストだってやらざるを得ないのでしょう。

いずれにせよ、自分には一生関係ない世界です。もっともそう思ってたゴルフ場に3年前に
行ってしまいましたが、

5616:山の魔王 by ドミノ on 2014/04/06 at 14:08:23

疲れ目のせいか、タイトルが「クラッシック」に見えます(^3^)。

音楽でも何でも、いいな、と思うと分かち合いたくなると思います。でもクラシックファンの一部はそうではない。「高尚なものが好きな自分は高等な人間だ」と誰かを見下す道具にしたい。何をもって「高尚」なのかと思いますが…。そういう態度こそ高尚とは程遠いんだけど。

ただクラシックの敷居の高さはありますよね。まず世界が確立されていて、演奏家にも観客にも服装のルールがある。

ただ、作られた時代にはそういうものだったし、音楽を聴く事自体がすごく特別なものだった(今みたいに気軽に聴けない)。音楽家にパトロンがいて、基本はそういう人のために作っていたから、今の商業音楽とは全く異なるわけで。

曲が長いのもそれらの事が関係していて、3~4分で1曲、さらにその中のサビだけで勝負するような今のJ-POPなどとは比較できないと思います。

仮にクラシックの1曲が60分として、そうなると曲展開や音の積み上げ方が異なってくる。一聴して覚えられないし、元々そういう為のものではない。

CDが登場してクラシックはLP5枚組以上とかそういうのがなくなって聴きやすくなったけど、フルで聴くのはしんどいです私は。あと、音が静かなとこと、そうでないところの差が大きいので、静かなとこを聴こうと音量を上げると、大きくなるとこでヤバイですw 

クラシックのハイライトともいえる部分を3~4分づつまとめたようなのは聴きやすくなってるけど、マニアはきっと唾棄するでしょう。いいなと思って聴いてる人にいちゃもんつけるとかウザいですけど。皆、クラシックはどこかで聴いてるもんです。

文化と商業主義は相入れないですね。売上を出すのが目的だから、佐村河内みたいな「演出」が要る。

>匿名さま

上流のものだから必要、みたいな感じが嫌なんでしょうね。17~18世紀に作られたものが世界中(イスラム原理主義とかは除く)で今も聴かれている、というのは凄い事だし、嫌味なマニアがいたってずっと残っていくものだけど。

小学校から音楽の授業としてやる、というのは仕方ない気もするけど、音楽室にあるバッハなどなどの絵が怖かったですw

ビゼーやモーツァルト、メンデルスゾーンなどなど、みんな30代で死んでますが、大昔の活動期間も短い人達がこうやって今も生きている、そういうのを「カリスマ」というんでしょう。ひとつの象徴、アイコンになるという事でしょうか。

☆ おまけ: Ritchie Blackmore's Rainbow の「Hall of the Mountain king」。グリーグの『山の魔王の宮殿にて』を一部使っています。歌詞もそんな感じ。良アルバム『STRANGER IN US ALL』 からです。


http://www.youtube.com/watch?v=O_cWfRVHAkQ

5611:Re: タイトルなし by sinzinrui on 2014/04/02 at 06:04:57

長文どうもです。

まあ、聞く側の論理にしてみれば
>日本の上流社会は、やはりクラシックやオペラ、歌舞伎なので、そういった世界を目指している人、上昇
>志向の方には必須の教養
ってことなんでしょうけど。
私にしてみれば、キリスト教云々ではなく、長くてつまらないということです。

5608: by 匿名 on 2014/03/31 at 22:49:57

 自分はクラシック音楽を聴くのが苦痛だった。特に小中学校時代の授業が嫌で嫌でたまらなかった。理由は、その多くが音楽史の勉強のためであることと、クラシック音楽そのものに対する違和感のせいである。
 大学の頃は、頭を休めるために、名曲喫茶に通っていたこともあって、それなりに知識も増え、バッハの緻密さやモーツァルトの流麗さ、ベートーベンの重々しさといった良さが分かるようにもなった。つまり、長ずるに従って、その楽しさ、面白さにも目覚めたというわけだが、依然としてどこかしらから生じてくる違和感から逃れることは出来なかったように思う
 ドミノさんが言うように、洋物ロックは、クラシックを知っていることがそれを楽しむ上で大きな要素となっている。露骨なものでは、クラシックのロックバージョンなんていうのものもしばしば存在する。そこまで露骨でなくとも、洋物ロックの多くはキリスト教を基盤とした世界観に根ざしているので、嵌る人は嵌るのだ。

 クラシック、、自分の結論を言えば、自分の生活に殆ど関係ないということに尽きる。自分はキリスト教徒ではないからだと、後になって気づいた。ジャズやその他はどうかというと、キリスト教の影響が無いわけではないが、クラシックほどではないと思う。ただ、クラシックを知っていると、楽器が弾けるようになるんですね。それはうらやましい。自分を表現する手段が増えるというのは確かに好ましいことだと思う。

 とは言え、日本の上流社会は、やはりクラシックやオペラ、歌舞伎なので、そういった世界を目指している人、上昇志向の方には必須の教養と言えるかもしれない。だから、そういった教養を否定はしないが、自分としては関わりたくないというのが本音のところだ。また彼らが他のジャンルの芸術や芸能と言われているものを低く見ているのも間違いないであろう。彼らが、他のジャンルをあえて持ちあげることも無いわけではないが、結局のところそれはリップサービスであったり、一種の懐柔策であったりするようである。
 ちなみにジャズファンの場合に時折見られる“閉鎖的なカルト臭”とは、まさにそのカルト性のそれであって、クラシックファンのそれとは異質のものだと自分は見ている。クラシックは、もっと開かれている。

 自分の意見としては、学教教育のような場で、クラシックを強制するのは止めにしてもらいたいと思う。それがキリスト教を強要することになり兼ねない、、というか音楽のプロパガンダ的な性質についてもっと注意したほうが良いということを言いたい。日本に住む人間にとって、それほど必要ではないし、キリスト教に違和感を持つ人には辛い時間だろうと思うからだ。世界に通用する人材とは、キリスト教の信者になることなのだろうか、自分は違うと思うが、ただ、これまではそうだったのである。また、世界に通用するなどといった、そうした目標設定自体についても、自分は強く違和感を持っている。そのことをここに表明しておきたい。
 だからと言って、自分はAKBとか何とかを聴く気にはなれないが。また、世の中の現象としての関心はあっても、それに嵌ることはこれからもないであろうと思う。念の為。

5606:Re: カルトの香り、アラカルト♪ by sinzinrui on 2014/03/30 at 08:34:44

>  ・ところで記事、いくつか 【クラッシク】 になっております(^0^)。

ご指摘感謝します。
いつもどうもありがちおうございます。

でも、クラッシックもそういう体質だから、銭になりにくくなったんじゃないかと
思います。
出版業界みたいに。「俺達のやってるのはブンカだ」「俺達のやってるのはガクモンだ」
って、崇高なガクモンと経営とって対立するものなのでしょうか。

5605:カルトの香り、アラカルト♪ by ドミノ on 2014/03/29 at 18:08:48

自分は洋楽厨なので、そのルーツにクラシックがあるのはわかるんだけど、クラシックを通しで聴くのは辛いもんがあるし、あと何よりもクラシックファン、気持ち悪い人が多いです。「俺は音楽を知りつくしてて感性が高い。」、「現代音楽を好きな連中は頭が悪い、低劣…(と様々なジャンルをののしる)」などと平気で言うクズが多く、ジャズにもたまにそんな人がいます。閉鎖的なカルト臭がしますね。独善的で傲慢なアレです。

物事を普通に好きな人は、そういう見苦しい態度を取らない。『高尚(とされる)なものを愛好する自分』が好きだから他者を見下し、歪んだ優越感に浸り年を重ねてってマジで救いようのないクズになっていきます。

こういう人達は自分が「普通の人間」だとか、ましてや「取るに足らない人物だ」、と気づく事から目をそ向け続けているのでしょう。江川詔子や上祐などを見てると、世の中とか、自分を笑う事のできない頑迷な、ペラい傲慢人間に見えます。 そんなに自分って、すごいものじゃないですよ。

「クラシック=インテリ」、ベタなイメージがあり、それに乗せられる人が子供に聴かそうとか、胎教に、などと言うんじゃないですかー? 音楽やっててその上でクラシック好きな人ってそんな事言わないし、自分の趣味を自慢して、そうでない人を見下したりしないもん。それに本当に頭の良い人って、感じの良い人ばかりか、でなければマジモンの変人かのどっちか。見下す、って事は何かのエゴやコンプレックスが強いという事でしょう。

他者を見下し、優越感や自尊心を満たしている人間は心が歪んでいて、
内面は劣等感に苛まれてまれているので関わらないのが一番いいですね。

 ・ところで記事、いくつか 【クラッシク】 になっております(^0^)。

あと、円天は~の記事へのとこに私、吉田砂保里、と書いてしまいましたが、吉田【沙】保里 でした、全国のサオリストに怒られるかも、すみません。

そして、スッキリ武田の記事のレス、ありがとうございます。「わいせつ」と「ひわい」な行為の違いが分かりましたw

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プロフィール

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Author:sinzinrui
西村雅史(本名本写真)。元オウマーです。大昔「オウム真理教大辞典」を共著で出して「これで幸せになる」と思ったらかえって不幸続き。糖尿病も悪化し、眼底出血で失明に怯えてます。

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