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オウム真理教地下鉄サリン事件とインターネット大衆化20周年

 ああ、今日がWindows95の発売日だったんだ。
 それじゃあ、インターネット大衆化20周年か。
週刊アスキー編集部に聞く「今、振り返るインターネットの歴史」
http://bbpromo.yahoo.co.jp/special/history/ascii/
 そう言われてみればそうだよな。この日の秋葉原のお祭り、確か自分も「参加」してたと思う。当時のオウマー日記に、「街全体がマハーポーシャ化してた」なんて書いた記憶がある。マハポの宣伝隊以上に、有名会社の宣伝部隊がところ狭しと街頭に繰り出して、Windows95搭載パソコンを売りつけていた。当時、マハポの宣伝部隊以上に騒がしいパソコン売りなんていなかった(今だっていないか)。そして確か、この頃にマハーポーシャが閉店したと思う。代わりに、TrisalやPC BankやThe Gracefulの御三家を中心にした「隠れ」オウム真理教のお店が中心になったと思う。
マハーポーシャ/WIKI
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3
『登記簿の記載によれば、株式会社マハーポーシャは1992年1月14日に設立。資本金3000万円。一連の事件後は役員変更の登記が全くなされていなかった。2002年10月の法務省による休眠会社の整理のため、旧商法第406条ノ3の規定により同年12月3日付で解散したとみなされた。みなし解散から既に3年以上が経過しているので、もはや会社の継続は不可能となり、みなし解散から10年が経過した2012年12月3日、法人格が消滅した。』
 へー、つい最近まで、マハーポーシャは「存在」していたんだ。

 1995年がインターネット大衆化元年。それを言い換えれば、今までは「インターネットをやってる人」=「パソコンのスキルがある人」だった。私はその半年前にインターネットを知った(仕事でやらされた)のだが、Windows3.1にX-Vision wareというUNIXのエミュレーターをインストールして、ワークステーションにログインをして使うという凄まじい環境だった。ちなみに、大半の人は、今書いた私の当時の環境がどういうものか、全く意味不明だと思うが、そういう事を分かってないと自分でネットに接続できない時代だった。Windowsマシーンで直接インターネットに接続するには、NICを差し込んで、Soliton TCPだったっけTCP/IPソフトをインストールする。またもや意味不明な日本語を羅列してしまったが、これがスラスラ分かる人がインターネットを接続していたのだ。まああれだ。当時のパソコンは、インターネット接続が前提条件になっていなかったのだ。
 それがWindows95搭載という、いわば最初からインターネットを使うことを前提にしたパソコンが中心になった。まあ、UNIXやMACやOS/2は最初からそうだったのだが、何故か当時からMicrosoftのWindowsが圧倒的なシェアを獲得していたので、Windowsがインターネット対応しないと、電脳業界がインターネットシフトしたとはいえないのである。
comi00.gif 要するに「知識ある人達」がインターネットを使用する時代が終わり、誰でもインターネットを利用できる時代に舵を切ったわけである。そして、どういうわけかオウム真理教は、明らかに「知識ある人達」の陣営だった。
 地下鉄サリン噴霧前からパソコン通信を運用し、サリン事件直後もオウム真理教は「オウム破防法適用で民衆が危ない!」じゃなかった「オウム破防法適用で民主主義が危ない!」や「サティアンショップのホームページ」、更には「Internetオウム真理教」と相次いでホームページを立ち上げていった。
HABOU2.jpg そして、それらのページは、素人作成HPであることを考えれば、最高技術を駆使し、当時としては斬新な「音楽のダウンロード」「(サティアンショップのTOPに)ムービー(アニメgif)を使用した動的ページ」、そして何よりも「自由に書き込める掲示板」を備えていた。ちなみに書いておけば、新聞社もページがやっとこさあったけど糞なので誰も見向きもしない時代、日本共産党なんか当然のごとくホームページなんかなかった時代である。そんな時代に、オウム真理教は時代の最先端のホームページで、「開かれたオウム真理教」「愛されるオウム真理教」をアピールしていたのである。
 そして、サリン噴霧事件当時のテレビが脱カルト協会色・日本共産党色が強かった事への反発があったのか、後に「裏物ライター」と呼ばれるような人たちに、「変態もオウムも情報発信している自由なインターネット」と、ある意味好意的に紹介され、また当時のインターネットユーザーも、まあ要するに「私」のように、テレビの江川紹子的報道・横浜方面の民主的な報道と明らかに一線を画した内容でホームページを作成していた。オウム真理教側もそれなりに「手応えあり」と感じていたようで、初期のインターネットでは、いわばオウムとユーザーとの蜜月状態(?)がしばらく続いた。

waku.gif
 正直、自分もこの当時が一番楽しかった。ただ、今になって後講釈的に分析してみれば、95年はインターネット大衆化元年であっても、そのインフラが登場しただけで、本格的大衆化になるまではあと3年くらいかかっていたのだ。そもそも、Windows 95というパソコン、おそらく機械慣れしていない人がインターネットを自力で使えるように設定するのは至難の業。第一、TCP/IPを知らない人にどうやってDNSやゲートを設定しろというのだ。
GANESHA_201511220750105a1.jpg 一見「蜜月」に見えたようだが、あの当時はまだ、インターネットユーザーの大衆化は進んでいなかった。一方、反オウム側(って国民のほぼ全員だけど)も、自分の意見がテレビを完全に支配しているので、インターネット対応を急ぐ必要もないし、何よりも、当時は普通だったWin95にモデムにテレホーダイを自力で苦労して設定してまで参加する意義があるとは思えなかっただろう。まあ、いわばその隙をオウム真理教に突かれた形になったわけだが。
 実際問題、98年辺りからオウム真理教の苦戦が始まってきたのではないだろうか。例えば、この年に例の「A」が公開されたと思ったが、まあ要するに、ネット上では何一つ全く話題にならなかった。あれはあれで、興味本位の悪趣味娯楽として考えれば、被害者が沢山でた事件なので、いわばワイドショーのいいとこ取りなわけで、とてもエンジョイできる作品である。しかし、すでにインターネット大衆化の流れは決定的になり、後に「ネトウヨ」と左派系マスコミに憎まれる左翼忌避・左翼嫌悪の流れも徐々に登場してきた。オウム真理教を興味本位に面白おかしく扱った娯楽映画「A」はコケたが、この年に起きた酒鬼薔薇事件すなわち中学生猟奇殺人鬼・東慎一郎さんの本名と顔を公開する行為は、インターネットで最初の「祭り」となった。
 そして、インターネット上の悪の主役が、オウム真理教やペドやハック・クラックや有料エロサイトのパスワード公開のような「危険な香り」のホームページから、「2ちゃんねる」と呼ばれる匿名掲示板に徐々に移っていったのだ。
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西村雅史(本名本写真)。元オウマーです。大昔「オウム真理教大辞典」を共著で出して「これで幸せになる」と思ったらかえって不幸続き。糖尿病も悪化し、眼底出血で失明に怯えてます。

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