トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

53年生きたけど、人生はつまらなかった

 そう。面白いこと、何もなかった。
 子供の頃、俗悪テレビ見て面白いと思ったりとかはたくさんあったけど、充実した人生とかやりとげたとか成功したとか、逆に燃え尽きたとか、そんな経験は一度もなかった。
 そして、何もないまま死んでいく。おそらく、大半の人間はそうなんだろう。それどころか、シリアの方にいけば、JCなんかイスラム国民の兵士に拐われて肉便器生活、チ◯ポ挿れ飽きて売却ならばラッキー、「生き埋めでじわじわ殺されるのが嫌ならば爆弾腹巻きして要人の近くでスイッチ押せ」で、成人式を待たずに「リアル走る爆弾爆弾娘」でドカーン。まあ、上見て暮らすなエ、じゃなかった下見て暮らせ。先進国の多くの人は、屋根のついた家に住んでれば幸福なのだと諦める訳です。
 ところが世の中には、実際に成功者がいるのです。その成功者とやらば、どうやら人生で忘れられない素晴らしい思い出があるらしい。あるいは、充実した時代があったらしい。そう、彼らは「成功」したんです。
人生つまらないと感じる人へ、楽しく生きたいなら参考にしてほしい
http://kanawell.com/change-lifestyle/fun-life/
1 大きな目標を持っている
 1.1 まずは小さな目標から立てる
2 夢に向かって挑戦している
3 積極的に人と出会っている
4 自分の人生を自分で選択している
5 あなたがやるべきことは人生を主体的に生きること

 1と2とは、放っておいて若いころはそうすると思う。いや、30歳になっても40歳になっても自分はそうだった。
 しかし、1000人でトーナメント戦を行えば、優勝準優勝三位が勝組とすれば、997人は敗者。そして、一回戦で優勝チームとあたればそれでおしまい。実際問題、人生はそんな感じだった、みんな成功者や勝者になりたいが、希望者に比べて椅子の方が常に少ない。
 4と5も同じ系列だが、大はライオンにに食われたとかイスラム国民に拐われたから、小は家族の反対や血筋まで、そんな選択はできはしないし、気がついた時には「選択」なんかできなくなっているのが普通だろう。残りは3だが、随分とオウマーな人とあったけど、別にスキルアップにつながらなかった。
高橋みなみ AKB48 「神は乗り越えられない壁を作らない」。高校生の頃に読んだら、誰だって絶対に感動するだろうと思う。しかし、そのうち誰もが何処かで「神様もいろいろ忙しいからねぇ」という先輩の嫌味を聞くことになる。
 考えてみれば、シリアも日本も、夢の数と人口との乖離が激しいのだから、夢は叶わぬのが普通なのである。努力したって栄光を掴んだって、清原和博とか林郁夫とか、ひょんなことでポシャるわけです。逆に三原じゅん子みたいにのし上がったり。
 「努力は必ず報われる」。たかみなが言うから面白いのかもしれない。というのか、AKB48みたいにもっとも努力でないものが価値を持つ業界の人がそれを言ったから面白いのだろう。あんなもん、努力したってどうにでもなるものではない。ブスはオーディションに絶対に当選しないのだから。
 前にも書いたけど、努力は賭けである。競馬に財産つぎ込むのと大して変わりがない。あなたが貴重な青春を犠牲にして行った苦労は、全くの無駄になるかもしれないのである。中学や高校、そして大学でも頻繁に教師の口から語られる「今は苦しいけど、いつかは『やっておいてよかった』と思う日がかならず来る」なんて嘘であって、少なくとも「こんな人生しかないだったら、努力なんかしなければ良かった」と思っている。
 それでも努力をしたほうが良いだろう。成功しなくても、ひょっとしたら燃え尽きられるかもしれないから。しかし、それすらままならないのが人生。
関連記事
スポンサーサイト
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
7478: by 北教祖 on 2016/03/06 at 19:35:10

sinzinrui様

>条文レベル
なんですよ問題が。

社労士も昔は条文レベルだったようです。
おそらく、現状の社労士試験も、司法試験や行政書士試験同様、既合格者が受けたとしても合格基準に達することができる人はほとんどいないと思います。
実力不足にならない程度にテキトーに頑張っていこうと思います。



ノラ様

自分は「人生つまんない」と考えてしまいがちで、ここ最近は特にそう感じることが多かったです。
まだ整理しきれてませんが、ノラ様のコメントで何かしらのヒントを得られたような気がします。ありがとうございました。

7474:Re: 人生はギャンブル by sinzinrui on 2016/03/05 at 09:01:28

ボルト様

> 人生はギャンブルですね。つまらないと思う時は、私は女性をみます。

私はたまると女性を見ます。
あんまり他人を見てもガッツがわきません。これだから駄目なのか。

7473:Re: タイトルなし by sinzinrui on 2016/03/05 at 08:57:50

北教祖様
社会保険労務士とか、今は大変ですよね。もし貴殿が中年になってからの勉強でしたら、ますます
辛いでしょう。

司法試験よりも行政書士試験の方が難しいってギャグを聞いたことがあります。
倍率、行政書士の方が実は高いんです(笑)。私の頃は半分近く合格してたと思います。それに、条文レベル
なんですよ問題が。もう憲法なんて絶対に落とせないし落とさない。それに、学生の頃だもん、頭の出来が全然
違います。だけど今は訳の分からない判例とか平気で出すんですね。

社労士もおそらく年々難しくしてる一方、受験者は増えているんでしょう。
おじさんたちは産児制限大好きですし。
今、行政書士の試験をやったら落ちる自信があります。おそらく「新司法試験で質が下がってる」旧試験組をも
う一回受けさせたら壊滅状態でしょう。

おじさん組は、時間を作るのが第一問題って気がします。時間を金で買う感覚。
実は私も英語で泣いてます。
お互いに頑張りましょう。

7472: by ノラ on 2016/03/05 at 02:08:07

sinzinrui さま、駄文にわざわざ返信してくださってありがとうございます。
私自身若い頃は自分が持つ夢ゆえに苦しんだり、周りの世渡り上手に進んでいく友人達と、芸術などを志し将来が見えない自分との乖離などが不安で仕方がない時期がありました。
事実、鬱病になってしまったことがあり、その時期は地獄でした。
人は努力をしたり頑張っている人を「偉い」と言いますが、頑張れる・努力ができる状態というのは幸福で恵まれている状態なのであって、偉いわけではないと私は感じます。
実際にはやる気が出せない、頑張れないことのほうが遥かに苦しく、困難で、乗り越えることが難しいと体験したからこそそう感じます。
私は、やる気が出せず自暴自棄にも関わらず、なんとかまじめに生きている人のほうが努力に邁進する人間より遥かに偉いと本気で思うのです。
努力に邁進する人も好きですが、そういう人は恵まれている人であって偉い人とは違うと思います。

起きることも、寝ることも、息をすることも億劫に感じられるような欝の精神状態では、他者のどんな幸福論も意味を持たなかった覚えがあります。
「世界にはゴミを拾って生活している子供もいる」とか、「もっと苦しんでいる人もいる」とか、それはそうだとしても、精神的に不幸な人間に他者の幸福・不幸を考える余裕などはありませんでした。
それでも、「食えてて不幸なのは食えなくて不幸よりはましだ」と思った記憶もあります。
それが私が何よりも安定した環境を手に入れることを最優先すべきだと考える理由にもなっています。
鬱病の時は、本当に生きていたくありませんでした。でも死ぬのもめんどくさい。そういう精神状態でした。
でもある時、私の友人が突然不治の病にかかってしまい、わずか1年ほどで亡くなってしまうということがありました。
その時に、生きていても何も楽しくない苦しみは、生きたくても生きることができない苦しみよりはましだと確信しました。
まさにこういう話は実際に「人生つまらない」と感じている人に話しても心に届くはずもなく、ただのきれいごとになりかねません。
でももう少し、sinzinruiさんがご自身の人生を肯定してくださるといいのになあと、私は思ってしまったので、偉そうにこんなことをコメントしてしまったのです。
私はやはり結局は芸術などを志すようなお花畑な世界観を持つ人間です。
ですから、ほんとにきれいごとを並べ立てているだけだと言われても、否定はできません。
でも、私は以前sinzinruiさんの書いた本を読んで爆笑したことがあります。
それでこのブログを見つけたのです。
不安定で辛い時期にその本で笑い、幾分救われたものです。
面白いこと、何もなかった ではなく、
面白いこと、ほとんどなかった
とsinzinruiさんが言ってくだされば、私はちょっと嬉しいです。
批判的な人のほうが声を上げ、好意的な人は黙ってしまうものです。
私はsinzinruiさんのブログを好意的に読んでいます。でも一度もコメントしたことはありませんでした。そういう人もいます。
ありがとうございました。

7471:Re: 好きなをして食べる by sinzinrui on 2016/03/04 at 21:24:22

ノラ様
長文をありがとうございます。

正直書いてしまえば、私も生活は安定してます。
なのに、別のところで社会的成功を常に考えてます。
だから、あなたのおっしゃることはとてもよく分かります。

> しかし安定した環境を手に入れた私は生活の糧のことを考えなくてよくなったので、ひたすら余った時間を芸術への努力につぎこみ、自分が創りたいものを自由に創れるようになってきました。
> そして私は、それこそが「努力」なのだと今は確信しています。

なるほど。自分はまだそこまで行ってません。
自分の感覚と貴殿の感覚と、少し違うのかもしれません。

いつの頃からか、自分の最大の問題点は「誰かが背中を押してほしい」って思ってる事じゃないかと考えてます。
自分を通して、周りから嫌われまくる勇気がなかったのが致命的だったのかって。

「安定した収入」は、実に魅力があるのです。

7467: by ノラ on 2016/03/03 at 21:30:01

私は芸術家なのですが、若い頃はそれで食べることを目標にしていました。
しかしみなさんがおっしゃる通り、「生業にしたい」と思う限りそこにはライバルがいて、需要と供給のバランスから必ず脱落者が出てきます。
こと私が志すジャンルはそもそも成功してもほとんど儲からないような芸術の世界だったので、20にもなる頃には私は方針の転換をしました。
というのも、それまでは何をするにもお金がなく、金がないから安定した環境がなく、安定した環境がないから芸術に打ち込む精神的余裕が持てなかったのです。
そのまま「芸術家で食べていきたい」などと考えていてはきっと野たれ死ぬと思いましたので、「まずは金を稼いで安定した環境を手に入れよう」ということにしました。
その結果、私は芸術とは無関係の仕事にてお金を稼ぐようになりました。
するとだんだん生活と環境が安定しました。
仕事をしながらも本来の自分の目標である芸術への熱意は忘れず、努力を続けました。
その結果、ある時から「芸術に打ち込んで努力する」ことそのものに喜びが見出されるようになり、それが他者から認められるとかそれで儲けることができるとか、そんなことはどうでもよくなりました。
すると過去の自分は、自分の感性で創りたいものを創っているつもりが、どこかで「人に認められるものを創りたい」などと表現を狭めていたことに気がついたのです。
しかし安定した環境を手に入れた私は生活の糧のことを考えなくてよくなったので、ひたすら余った時間を芸術への努力につぎこみ、自分が創りたいものを自由に創れるようになってきました。
そして私は、それこそが「努力」なのだと今は確信しています。
何か、環境や生活のためにしなければならない事は「苦労」であって、努力ではない。
自分がしたいからすること、それが社会的に報われるかどうかなんて二の次に思えることが「努力」なのだと思います。
例えば誰かが英語の勉強を一生懸命したとします。
それがその人の社会生活においてさして役に立たなかった時、人は「努力が報われなかった」と言いますが、私はそれは違うと思います。
もし一生懸命英語を勉強したのならば、確実に語学力は上がるはずなのです。
全く英語が話せなかった人が、そこそこ話せるようになるはずです。
それは明らかに「結果」だと思います。
結果は出ているのです。ただ、それが社会的に役に立たなかったからと言って、「努力は報われなかった」というのはおかしいと思います。
どんなに勉強を続けても、全く英語力が上昇しなかったのならば、努力は報われなかったと言えます。
しかし一般的にそんなことはほとんどありません。
ほとんどのケースにおいて、みな「社会的成功には寄与しなかった」ことを努力が報われなかったと言うのです。
それは私から言わせれば「苦労は報われなかった」の間違いであり、努力というものを履き違えているような気がします。
人生において自分の時間と情熱を捧げることができる対象がある人は幸福だと思います。
それは私にとっては芸術でした。
それがない人もいます。
それはその人の嗜好や気質、性格や経験などから育まれるものであり、それはまさにどのような親と家、どのような環境と遺伝子で生まれるかで決まるので、完全に運と言えてしまいます。
ですからそれを持てなかった人は運が悪く、持てた人は運が良いので、人生は運が1番大切という意見には私は賛成します。
しかし、世の中の多くの人の人生観があまりにも狭く、社会的成功ばかりに固執しているような気がするのです。
ですからコメントさせていただきました。

私は自分がしたいことに情熱を傾ける努力そのものを肯定できるようになるために最も大切な事は「安定した環境」だとも確信しています。
北教祖さんがおっしゃるように、「非常に狭き門の生業」を目標にすると、失敗した時のダメージが大きすぎます。
しかしなぜ「生業」にこだわらなければならないのか?私は常々疑問に思います。
社会人として働きながら、スポーツに情熱を傾けることはできないのか?
仕事で疲れて帰り、そんな余裕はない。
それももっともです。
しかしだとしたら、その人はスポーツ選手になりたいだけであって、スポーツが好きだというわけではないのではないか?
本当に好きなものというのは、自分がその対象に時間をかけているだけで幸福だと思えるものです。
その分野で食えるようになればそれは素晴らしい。しかしそんなことは二の次、その分野に人生の時間を注ぎ込んでいるだけで幸せ。そうは思えないものでしょうか?
そう思えるために、安定した環境を手に入れる苦労だけはしなくてはなりません。
不安定な環境は、いつの日か情熱を傾ける対象を恨む結果につながります。
私は、「好きなことは続けろ。それへの努力を怠るな。しかし、それで食おうなどとは絶対に考えるな。それを続けるために他のことをしてでも食えるようになれ。それでも、好きなことは続けろ。もし他の仕事で食っていける状態ならばその好きなことはしなくても良い、と思うならば、今すぐにその好きなことをやめろ。」と子供達に言いたいです。
長文失礼しました。

7466: by ボルト on 2016/03/03 at 07:39:10

人生はギャンブルですね。つまらないと思う時は、私は女性をみます。今は卓球の愛ちゃんみて励まされています。

7465: by 北教祖 on 2016/03/02 at 08:34:53

人生はほぼ運に左右される。昨年の社労士試験で確信しました。

努力で4万人中の50位以内の得点でも不合格。
(確固たる証拠はないが、微妙な部分で)合格基準を変えられたらたまったものじゃありません。
謎の合格基準を不服として裁判を起こしている人もいますが、門前払いでしょう。


既合格者、講師陣は当然のように「本人の努力不足」なんて言いますが、合格しているからそんなこと言えるのであって、そんなのは「勝者の戯言」にしか思えません。

テキトーにやるのがいいのですが、テキトーすぎたら本当に「努力不足」になりますし、根を詰めたら「運のふるい」にかけられる。

もっとも社労士程度なら日常生活に支障はきたさない程度の負担ですが。
より難関の試験や、分野は違いますがスポーツ選手となると、取り返しがつかないものになることは想像に難くないです。

最新コメント

プロフィール

sinzinrui

Author:sinzinrui
 西村雅史。元オウマー。大昔「オウム真理教大辞典」を共著で出して「これで幸せになる」と思ったらかえって不幸続き。糖尿病も悪化し、眼底出血で失明に怯えてます。

Twitter

私は「いつでも会えるオウマー」です

オウマーに会いたかった! 会えますよ。
常時2人オフ会受け付けてます。2人以上でももちろんOK。握手会もチェキもOKです。ただし男なのでパンチラはありません。

ただし基本的に、土日・祝祭日希望(日頃は普通にサラリーマンやってますので)。

あと、正体を明かさない人や殺気を感じた人は、断るかもしれません。そこまで善人じゃないので、あしからず。

顔本

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

カウンタ(2011.8中旬あたりから)

リンク1

リンク2

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
政治・経済
29位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
政治活動
13位
アクセスランキングを見る>>

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム