FC2ブログ
トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

ある日忽然と主張されるようになった「憲法は国民ではなく国家権力を縛る」という”嘘”が拡散したのか

「憲法は国民ではなく国家権力を縛る」は明白に間違っている


 (教えて 憲法)国家権力しばる「立憲主義」
https://www.asahi.com/articles/ASL257F90L25UTFK02D.html
『日本国憲法では、個人の権利保障というかたちで、国家が守るべきものをしるしている。』

判例百選・憲法 大学法学部に進学したか、あるいは資格試験等で「本物の」憲法を学んだ人で、「憲法は国民ではなく国家権力を縛る」という理論に、違和感を持った人は多いと思う。
 「そんな事、教わったっけ?」「国民は守らなくていい? 聞いたことがないなあ…」 そう思ったのは私だけではあるまい。自分のイメージでは、まさにコロナウイルスのように「忽然と」主張されるようになった。

 実際に、日本に限らず、世界の民主主義国家において、憲法は国民を縛りまくっている。
 国によってさまざまであるが、納税の義務はつきものだし、選挙だって年齢制限がある。何せ日本では、公共の福祉に反すると生命も奪われるのだ。更に、国によっては徴兵の義務があり、緊急条項がある。もう、団鬼六も真っ青、国民を縛りまくっている。

 そもそも、民主主義国では、国家権力・権力者は国民である。与党と野党支持者が対立しても、権力者と国民とは全く対立してない。だから「民主」主義なのだ。
 議会だって、別に議会なんかしなくても、スマホで「ピコっ」と全法案・条例を採決とっても良いのだ。紀元前、マジでギリシャでやってたんだし。ただ、そんなかったるいことを、忙しい中やってられないので、国民の中から代表者を選んで、その人に政治をやってもらうことにした。これが議会制民主主義なのだ。

 それでは、憲法の根本理念として、ここ数年の間に突如と「国家権力を縛る」ことが強調されるようになったのは、何故なのか。

立憲主義と「国家権力を縛る」説


佐藤幸治・憲法 何せ憲法を学んだのは何十年前の話なので、基本書も判例百選も捨ててしまった。WIKIやネットの力で書く。

 一般的に「授業で習う」「試験対策の」憲法では、広い意味で「国の成立に係る統治の根本規範(WIKI)」で、かつ全ての法の上位法であり、憲法に矛盾した法律を作れないとか、そんなことが書いてある。更に狭い意味での憲法は「人権と三権分立が規定されてないと憲法と呼べない」みたいな話になる。
 確かに「国家権力を縛る」のも事実である。
 実際に「憲法は国家権力を縛る」的な文言は、各種基本書に存在しているようである。
 むしろ問題は「国民は縛られない」なのだ。



 素人さん?のブログに、面白くかつ内容がしっかりしている(勉強している)ものがあった。
 私のブログを読むよりも、こっちをよ読んだほうが良いだろうし、私の問いに対する解答になっている。

立憲主義へのちょっとした疑問:憲法は「国家権力を縛る」ためにあるのか?/The Midnight Seminar
https://blog.midnightseminar.net/entry/2016/11/03/004545

千字式答案練習・憲法 少々長々と引用します。
 『憲法学の教科書が「国家権力を縛る」という時、その「国家権力」には当然民主的なものも含まれています。』
 『憲法によって「国民の多数の支持を受けたとしても、これ以上のことはできない」という枠をはめておくという話になっているわけです。だからある意味、憲法には「国民が自分で自分を縛る」という側面もあるということが説明されているわけですね。』
 『ただこれは「教科書」の場合の話であって、確かにジャーナリズムや世論のレベルで唱えられる「立憲主義」論は、八木氏が言うように、「国家権力 vs 国民」というような図式のみを念頭に置いていて、国民に対立するものとしての「国家権力」の制限のみを論じている場合が多いのかもしれません。』

 はい。そういうことなんです。ただ、何で「国民ではなく国家権力を縛る」説がパンデミックを起こしたのか。
 『ここ数年で、「立憲主義」という言葉が突如として政治ニュースにおける頻出ワードになりました。』

 確かに、立憲主義もここ数年で「パンデミック」を起こしている。上記ブログ主は具体的な数字を上げて、立憲主義が「流行語」であることを指摘している。
 立憲民主党結成(2017年)以前にパンデミックしており、あの政党とは直接関係はないようだ。また、どうやら「立憲主義」と「国家権力を縛る」論はパックで売り出されたように思える。

憲法は国家権力を縛るのではなく、安倍総理を縛るために存在する


コンメンタール憲法 というのか、要するに、アベが悪い

 何故、「憲法は国民ではなく国家権力を縛る」説が忽然と定説として主張されるようになったのか。ただ単に、安倍総理が嫌いだからである。アベが全て悪いのだ。
 つまり、「憲法は国家権力を縛る。国民を縛るものではない」を、「憲法は安倍総理を縛る。国民を縛るものではない」「安倍総理を縛る。共産党・立民党は縛らない」等に言い換えると、実にストンと落ちる

 要するに、左翼勢力が安倍憎しのために、「国家権力を縛る」部分を強調し、マスコミがキャンペーンに乗っかったのではないか。
 その証拠に、「縛る」説の論者は「国家」ではなく「国家権力」という言葉を使う。「憲法は公法であり、国家と国民との関係を規定する」と教科書には書いてあるが、「国家権力と国民との関係を規定する」とは言わない。
 国家=国家権力とは、マルクスやレーニンが主張する階級国家そのものである。日本国憲法(日本に限らず民主主義国家)の憲法は、国家は必要なものと考えており、権力者が国民を支配する暴力装置と考えていない。

 そう考えると、「憲法は国民ではなく国家権力を縛る」なる珍説の正体がハッキリしてくる。
 主張者は、国家と国民を分断したいのだ。「国家”権力”」と「(権力を持たない)国民」の対立構造を煽り、自民党政権にダメージを与えたいだけなのではないか。

 以上、何か間違ってたら教えて下さい。
関連記事
スポンサーサイト



トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
10941:いやはやなんとも by 名主 on 2020/04/19 at 15:21:35 (コメント編集)

私は憲法の素人ですが、立憲主義には違和感を、感じていました、戦前の政党を思い返せば、立憲政友会と立憲改進党、はてこれらの、政党って憲法論争で、立憲君主制とは何か?といった話だったのでは?といった話を思い出して、立憲主義という、言葉じたい無かったのでは?と感じていました、まさしくアベガーさんの意味不明な、造語と考えると、よくわかりました

最新コメント(ご返事ができないことがございます。お許しを。)

プロフィール

sinzinrui

Author:sinzinrui
西村雅史(本名本写真)。元オウマーです。大昔「オウム真理教大辞典」を共著で出して「これで幸せになる」と思ったらかえって不幸続き。糖尿病も悪化し、眼底出血で失明に怯えてます。

人気記事(2020.8.7~の集計)

最新記事

株価・為替

Twitter

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク1

リンク2

 ▲オウム真理教
●板
栗板
●BLOG
岩本太郎ブログ(お前はただの馬鹿にすぎない)/メディアの夢の島
●その他おすすめ
 ▲オウム以外の破壊的カルト
(日本共産党・左翼)
しんぶん赤旗
「日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+ キンピー問題笑える査問録音公開中」
小坪しんや
TAMO2ちんの日常
前進社(中核派)
(幸福の科学)
Liberty WEB
(その他)
 ▲法曹
弁護士自治を考える会

カレンダー

07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

アクセスランキング(2020.3.8~)

[ジャンルランキング]
政治・経済
31位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
政治活動
14位
アクセスランキングを見る>>

検索フォーム

QRコード

QR