「無理ゲー社会/橘玲著/小学館新書」を読み、努力真理教について考える
健康・人生 - 2021年09月18日 (土)
暇な時間が生じたので、本屋に入ってベストセラーらしい「無理ゲー社会(橘玲著・小学館新書)」という新書を買った。ベストセラーらしく平積みどころか、床に対して垂直になり壁面に紹介されているので、相当に話題の本なのだろう。
努力は必ず報われるのか

しかし、さすがシヴァ大神。読んでみたら面白いの何の。
Part.1は該当映画の内容を知らなかたり生産性のないホモが出てきたりでつまらなかったが、Part.2以降は私がこの日記で常日頃書いている「問題意識」そのものである。であるので、この日記の数少ない「常連」にとっても面白いと思うので、お買いになっても損はしないと思う。
筆者の問題意識を無理やりまとめれば、こんな感じだと思う。
生まれや身分や性別等で差別されなくなった「リベラル社会」では、自分らしく生きることが可能になったかのように人々は思い、教育の世界も「自分らしく生きる」ことを言わば強制される。出来ないのはお前が努力してないからだと。
しかし、そんなリベラルな差別なき実力社会なのに、格差は拡大し、満足に「仕事」「家族」も持てない人間が続々する。彼ら彼女らは「楽して死ねる方法を教えてくれ」と嘆く。何しろ、今の惨めな自分の姿は「努力が足りないから」なのだ。何せ差別のない機会平等の「リベラル」社会なのだから…そんな感じだろうか。
メリトクラシーというディストピア

なので今回はその中の一つ、おそらくメインの話題だろう「メリトクラシー」について(P.74~)語りたい。
以下、面倒なので正確な引用はしません。ニュアンスが違ってたら許してね。
「メリトクラシー」とはイギリスの社会学者マイケル・ヤングの造語で、「知能×努力=メリット」で人間の評価が決定する、みたいな社会。すなわち、生まれつきの「人種や性別や門地」ではなく、実力で人間が評価されると。究極の偏差値社会みたいなものだ。
しかし、実はこの「メリトクラシー」はヤング氏が書いたディストピア小説。イギリスで2034年にこんな薄気味悪い社会ができたという「1984」みたいな話なのだ。
究極の偏差値社会になった2034年のイギリスでは、5年に一回全国共通テストが開催され、人間を選別する。その結果、5%のエリートと95%の下層階級とに分断される。そのため国民は一生学ぶことを強制される一方、文部科学省(?)が絶対的な権限を持つ。
こんな平等な社会にも関わらず、落ちこぼれた人は人生に絶望する。何せ、落伍者になったのは境遇ではなく努力しなかった自分が悪いのだから。かくて政権奪取・革命なんて知恵のない若者は、ドラッグやアルコールに走り、あるいは人生に絶望して自殺する。
しかし結局革命が起きるようだが…

戦後日本なんて、かつては「受験競争」「偏差値社会」と叫ばれるくらいだから、今でもメリトクラシー社会なのかもしれない。韓国が今まさにメリトクラシー社会を推進しているようだ。
幸福は「親ガチャ」どころか「遺伝子ガチャ」「運命ガチャ」
自分はメリトクラシー的な考え方を「努力真理教」と呼んでいた。人間、どんな貧乏人でも死にものぐるいで「努力」すれば、エリートにはなれなくても、努力してない人よりもかなり優遇された「収入」「地位」「家族」等、そこそこ贅沢な幸福をGETできる。
しかし、本当に人間は努力すれば出世あるいは自己実現できるのか。言い換えれば、努力量と偏差値・社会的地位とはそこそこ一致しているのか。実のところ、殆ど一致してないのではないのか。
ここで次の章「遺伝子ガチャで人生は決まるのか?(P.100~)」に進む。「遺伝子ガチャ」は流行語「親ガチャ」をもじったものだろう。
「行動遺伝学」なる学問がある。それによると、さまざまな人間の成功・幸福要因は遺伝で決定しているという。
右写真は同著P.113よりピコったもの。上段の「遺伝」は文字通り遺伝、「共有環境」はいわゆる家庭環境の多く、そして「非共有環境」は学校や職場等、たまたま出会った人の影響を指す。
もし右記表が真実であれば、実のところ、人間の幸福は努力どころか「親ガチャ」ですら決まってない。遺伝子ガチャで決まっているのかと筆者は問いただす。
私に言わせれば、親の教育だけではなく、偶然であった友達や先生の影響の方が「親の教育」よりも大きいのならば、幸福・不幸は「運命ガチャ」としか言いようがない。
そして、「遺伝子ガチャ」「運命ガチャ」に圧倒的に左右されるのは、「やる気」「集中力」「記憶」… いわゆる「努力」も含まれる。すなわち、努力も才能であり、「遺伝子ガチャ」「運命ガチャ」で決定する。筆者は言う。「ケーキを切れない非行少年たち」を知ってるだろう。彼らは必死に切ろうと「努力」してるんだけど、マスターできないのだ…
「努力真理教」「自分らしく生きる」は必ず崩壊する
と、長々と「無理ゲー社会」の3・4を紹介してしまった。
自分もこの問題を考えたことがあるので、つい熱くなってしまった。
おそらく、一見して異なるベクトルに感じる「努力真理教」も「自分らしく生きる」も、自分は崩壊すると思う。現に日本で努力真理教は崩壊過程に入ったと思っている。

就職とて所詮は楽しい仕事の奪い合い。「自分らしく生きられる」マスコミ・知識人・教師・弁護士等のポジションはごく僅か。ほぼ全ての人間は嫌々金目的で「サラリーマン」をやってるだけだ。大半の人間が「自分らしく」生きられるはずがない。だいたい、アフガニスタンに生まれたらそれだけでダメ、「幸福」になれないじゃん。
努力したって「素敵な恋愛」は成就できない
恋愛だって同じ。あれこそ「遺伝子ガチャ」「運命ガチャ」。
いや、恋愛が人生そのものなんだよ。
キモい♂が努力したって橋本環奈と結婚できないどころか、AKBの3軍すら相手にされない。♀だってデブブスでは若い高収入者が相手にするはずがない。そういえば、この筆者も私と同じく、恋愛自由社会よりも一夫一妻制の方が男特にキモヲタに有利な制度だと語っている(P.180)。そして「リベラル」な社会は男はハーレム作って女もよりどりみどり。かくてキモヲタもデブブスも「リベラル」に強い敵意を抱く(P.181)。
と、結局本の一部の紹介で終わってしまった。
こんな台風の中、昨日に続いて私が病院に行くのだって「運命ガチャ」としか言いようがない。
ではまた。
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