今日で酒鬼薔薇聖斗殺人事件25周年(NHK朝のラジオニュース)
カルト以外の犯罪・殺人 - 2022年05月24日 (火)
今朝のNHKラジオニュースを聞いていたら、今日で酒鬼薔薇…いや、東慎一郎君の方がしっくりくるだろう…彼の連続児童殺人事件から25周年なのだそうだ。WIKIによれば、5月24日、East君が土師淳君を殺害し、その2日後に校門に。であれば、明日26日が「25周年」だろう。被害者への謝罪の手紙は5年前に途切れたそうである。
日本テレビ系ではドキュメンタリー放送もあったのですね。
「酒鬼薔薇聖斗」から途絶えた手紙…「償いと謝罪」を求め続ける遺族の思い/2022/05/22 マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20220522-2349014/
「インターネット最初のお祭り」とでもいうのだろうか。地下鉄サリンの頃は、まだインターネットが普及していなかったので、そもそも「お祭り」になれなかった。地下鉄サリンが「人食い急行サンニーマル」で、TCP/IPプレインストールのWindows95日本語版が発売したのが1995年11月23日。ここからインターネットが世間に行き渡り始めた。
あの情熱は何だったんだろう、と思う。
ネット住民がこぞって「東慎一郎の顔」に熱中した。おそらくFOCUSを買った人はごく少数だったのではないか。その後、未成年者の殺人鬼が現れると、こぞって本名と顔写真を探すことがインターネット上で恒例化し、そのうち慣れっこになってしまった。
単なる愉快犯もいた。ただ、その当時からあった反マスコミ感情や左翼的マスコミへの不満(今で言うネトウヨ的感情)・”人権”派への根強い不信感が当時から根強かったのだろう。
それに、生まれて初めて名も無い庶民が「表現する側」に回った。ここで「新聞・テレビと同じ」意見ではなく、むしろ今までマスコミが黙殺した「禁じられた言葉」を語るのはある意味自然だったとも言えよう。
犯罪者はマイナスのヒーローとして一部の人の英雄になる。
「どくいりきけん」グリコ・森永事件の「かい人21面相」が不思議と当時の新左翼系評論家に人気があった。もっとも朝日新聞神戸支局銃撃の赤報隊は未だに隠然たる人気を誇っている。
政治イデオロギーから離れた最初の「英雄」は宮崎勤ではないか。嫌韓流で有名な山野車輪の著作「オタクが日本を「右傾化」させた 右派+オタク文化史論」曰く、『この事件(宮崎勤幼女殺人以降のマスコミ報道)以降、おたく(オタク)の人たちが、マスメディアに対してネガティブな印象を持つようになった(P.191)』。自分もそうだったので実に納得できる。
あれ以降「新人類」「オタク」は左翼マスコミや左翼言論人を明確な敵として考えるようになった。「思想史」的に考えれば、「かい人21めんそう」は宮崎勤に比べれば無能のゴミ、赤報隊に匹敵していた。多くの人が宮崎勤報道以降、「左翼=弱い者いじめをする卑怯な金持ち」と感じる湯になった。
そしてその数年後、地下鉄サリン。オウム真理教とういう戦後最大の「マイナスのヒーロー」が誕生した。
宮崎勤とオウム真理教。2つの事件で、反マスコミ・反左翼感情を強くした人は、自分を含めて多かったのではないか。
そう考えると、東君おっとっと酒鬼薔薇聖斗って、殆ど意義がなかったと思う。
少年法や人権の欺瞞を真剣に考えていた人もいたかもしれない。一方、単に面白がってるからも多かっただろう。いや、「面白がってる」を認めた方が理解が早い。FOCUSのコピーのコピーのコピーをホームページに貼ることの何が面白いのか。心の奥底に、「マスコミがやるなといってるから」「左翼が嫌がってるからやっている」があったのではないか。
宮崎勤やオウム真理教にはファンが多いけれど、東慎一郎にはファンが少ない。宮崎やオウムは「理解できる」部分がある。宮崎勤ならば「俺も似たようなものだ」、オウムならば「社会の底辺にいた人間がエリートを騙して、満員電車にサリン撒かせて痛快」みたいなマイナスの応援理由が、酒鬼薔薇に存在しないのだ。ただひたすら写真を貼られるだけの存在。彼の犯罪に対するシンパシーがほとんど存在しない気がするのだ。
と、もう出勤しなければならない。中途半端なところで終わってごめんなさい。ではまた。
日本テレビ系ではドキュメンタリー放送もあったのですね。
「酒鬼薔薇聖斗」から途絶えた手紙…「償いと謝罪」を求め続ける遺族の思い/2022/05/22 マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20220522-2349014/

あの情熱は何だったんだろう、と思う。
ネット住民がこぞって「東慎一郎の顔」に熱中した。おそらくFOCUSを買った人はごく少数だったのではないか。その後、未成年者の殺人鬼が現れると、こぞって本名と顔写真を探すことがインターネット上で恒例化し、そのうち慣れっこになってしまった。
単なる愉快犯もいた。ただ、その当時からあった反マスコミ感情や左翼的マスコミへの不満(今で言うネトウヨ的感情)・”人権”派への根強い不信感が当時から根強かったのだろう。
それに、生まれて初めて名も無い庶民が「表現する側」に回った。ここで「新聞・テレビと同じ」意見ではなく、むしろ今までマスコミが黙殺した「禁じられた言葉」を語るのはある意味自然だったとも言えよう。

「どくいりきけん」グリコ・森永事件の「かい人21面相」が不思議と当時の新左翼系評論家に人気があった。もっとも朝日新聞神戸支局銃撃の赤報隊は未だに隠然たる人気を誇っている。
政治イデオロギーから離れた最初の「英雄」は宮崎勤ではないか。嫌韓流で有名な山野車輪の著作「オタクが日本を「右傾化」させた 右派+オタク文化史論」曰く、『この事件(宮崎勤幼女殺人以降のマスコミ報道)以降、おたく(オタク)の人たちが、マスメディアに対してネガティブな印象を持つようになった(P.191)』。自分もそうだったので実に納得できる。
あれ以降「新人類」「オタク」は左翼マスコミや左翼言論人を明確な敵として考えるようになった。「思想史」的に考えれば、「かい人21めんそう」は宮崎勤に比べれば無能のゴミ、赤報隊に匹敵していた。多くの人が宮崎勤報道以降、「左翼=弱い者いじめをする卑怯な金持ち」と感じる湯になった。
そしてその数年後、地下鉄サリン。オウム真理教とういう戦後最大の「マイナスのヒーロー」が誕生した。

そう考えると、東君おっとっと酒鬼薔薇聖斗って、殆ど意義がなかったと思う。
少年法や人権の欺瞞を真剣に考えていた人もいたかもしれない。一方、単に面白がってるからも多かっただろう。いや、「面白がってる」を認めた方が理解が早い。FOCUSのコピーのコピーのコピーをホームページに貼ることの何が面白いのか。心の奥底に、「マスコミがやるなといってるから」「左翼が嫌がってるからやっている」があったのではないか。
宮崎勤やオウム真理教にはファンが多いけれど、東慎一郎にはファンが少ない。宮崎やオウムは「理解できる」部分がある。宮崎勤ならば「俺も似たようなものだ」、オウムならば「社会の底辺にいた人間がエリートを騙して、満員電車にサリン撒かせて痛快」みたいなマイナスの応援理由が、酒鬼薔薇に存在しないのだ。ただひたすら写真を貼られるだけの存在。彼の犯罪に対するシンパシーがほとんど存在しない気がするのだ。
と、もう出勤しなければならない。中途半端なところで終わってごめんなさい。ではまた。
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