日本最高の知性が語る「努力真理教の崩壊」「ポスト努力」
健康・人生 - 2022年06月19日 (日)
子どもたちの三つの「危機」by恒吉僚子@勁草書房
ポスト努力について考える(自分の過去日記2022年06月15日)
http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-6078.html
人間、親ガチャどころか遺伝子ガチャに友達ガチャに先生ガチャに同僚ガチャ、それに事故等の偶然ガチャetc、極めて外的要因に影響される生物で、成功・幸福と努力には殆ど相関関係がない。しかし、「努力は必ず報われる」の信仰が消えると、国力は落ちるどころか、一切の組織が回らなくなる。それゆえ国家も企業も役所も宗教団体も反体制組織も、構成員に「努力は必ず報われる」と虚偽の信仰をばら撒き、「下々」をまいんどこんちょろーるする。

そこで、『子どもたちの三つの「危機」by恒吉僚子@勁草書房』を読んで見ることにした。
著者を調べてみたらびっくり仰天。恒吉僚子さんは東京大学大学院教育学研究科教授や東京大学総長補佐を歴任した日本最高の知性に近い人物で、現在は文京女子大学特任教授。
ただ、それはそれで興味深いではないか。日本最高知性が「努力」をどう語っているのか読んでみよることにする。
努力信仰vsギフテッド教育
まずは第八章 「東アジア的努力パターン」から。
『アジア系の中でも特に東アジア系の努力志向と結び付けられてきたのが儒教的な価値観によって支えられた努力主義や、人間の能力は平等であり、差は努力によって生まれるとする能力平等観(P.155)』。
なるほど、儒教は全く思いつかなかったが、おそらく自分も「差は努力によって生まれる」人間理解が努力真理教を産んだと思っていた。そうでなければ、子供の才能や能力を見極めて、どうやってその子の個性を伸ばすかにベクトルが向かうし、実際にアメリカの子供は日本・中国に比べて学業達成度が低く、がむしゃらに頑張らない(P.157-158あたり)のだそうだ。
『イギリス、アメリカ、オーストラリア等では、潜在能力が特に優れているとされる子ども達に対して、特別な措置を取ったギフテッド教育(P.158)』が行われている。そして『「才能ある子どもの全国協会(American Association for Gifted Children)」』ではそのホームページで、教育機関ではなかなか「診断」が難しい就学前段階の幼児について、保護者に、自分の子供がギフテッドかどうかを「見分ける」指標を提供している。
なるほど。だけど、ノンギフテッドな人はどうするんだろう。
ポスト受験社会に向かう日本

『社会ではガンバラないでもマネーゲームでマニーゲームで大金を手に入れる人もいれば、ガンバってもリストラされる人もいる。』『物質的に豊かな社会日本は、ガンバラなくても生きていけると同時に、ガンバってもそれに比例した結果が出てこない。(P.168)』。すなわち、「行くが男のど根性」で頑張ってもペイしない。そして、その傾向は『高い受験圧力がかなり広い層にまでかかって、均質的な高学力を産むような仕組みが崩れていくポスト受験社会へと向かっていく中で起きている。(P.168)』。日本は韓国・中国よりもポスト受援社会に向かっており、努力信仰が薄れているというわけだ。
じゃあどうやって「ポスト努力」をすれば良いのか。言い換えれば、成功・幸福の見返り無しでどうやって人間に努力を継続させるのか。しかし、何せ日本教育学の頂点を極めた方の著作なので、私には理解できない。おそらくはっきりした処方箋が記載されているわけでもないし、そもそも人生の難問に安易な解決策がある筈がない。
ポスト努力は存在しない
ただ、日本知性の頂点が書いた本の認識と、自分が「チ○コ・マ○コ」交えながらヘラヘラ書いた日記の認識は全く同じのようだ。俺、やっぱり頭いいな。本当はギフテッドだったんじゃないの? なのにガチャで変なのを引いて…

受験戦争・学歴社会が努力真理教を産んで、その根底には日本人は全て平等であるべきで、よって努力量だけで人間のランキングをつけるのが真に民主的だという思想が流れている。それが大学受験だけではなく、司法試験や公務員試験にまで徹底してやったのが「受験競争」「偏差値社会」と呼ばれるシステム。そして、この手口で日本は知的水準を押し上げてきた。
しかし、実は受験技術の習得もちっとも平等でもない。そもそも、努力すら平等でないらしい。最近話題になった本「無理ゲー社会」によると、「やる気」「集中力」「記憶」… いわゆる「努力」も遺伝子ガチャや親ガチャや友達・先生etcガチャで決定する。すなわち、努力も才能だったのだと。
ポスト努力。実はそんなもん、存在しないのではないか。そのうち韓国も中国も日本を見習って、「がんばらなくてもええでんね」になる。おそらく、今や完全に日本を超え無人の荒野をひた走る出生率を誇る韓国は、ポスト努力勢力に転向するのは時間の問題ではないのか。
前述「無理ゲー社会」でメリトクラシーの話があった。メリトクラシーは、個人の努力や実績のみで社会的地位を決定する考え方であるが、実はイギリスのディストピア小説だったのだ。国民全員が5年に一回の全国共通テストを課され、そこでエリートとゴミとを選別する。
日本ではある時期までメリトクラシーを理想にし、かなり成功した。しかし、もはや限界。何よりも「人生ネタバレ」してしまったのだ。もう元には戻れまい。
ではまた。
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